他人事ではない!あなたもセクハラの加害者かも!!
なぜセクハラが減らないのか?
最近テレビをつければ、どこかしらでセクハラだのパワハラだのが話題になっています。
セクハラ・パワハラが被害者を深く傷つけることはもちろんですが、ひとたびそれが発覚すれば、加害者だって「袋叩き状態」に陥ることは火を見るより明らか。
だいたい、何をすればセクハラになり、どんな行為がパワハラになるのかなんて今や常識。誰でもわかっているはずです。
にもかかわらず、ハラスメントに関する相談件数は後を絶たない、どころか増え続けているのが現状です。
いったいなぜなのか?
理由の一つは、今まで我慢してきた人が、我も我もと口を開き始めたこと。
いわゆる#MeToo現象。
「これぐらいのエッチなからかいは笑って上手にかわすのが大人の女」
「これぐらいの厳しい指導はあたりまえ」
昔はそう思ってあきらめていた人たちが、我慢せずに主張するようになったから。
そして二つ目の理由
頭ではわかっていても、現実、日常の中で、具体的に何を言えばセクハラになり、どんなことをすればパワハラになるのか。なぜそれがハラスメントにあたるのか。ちゃんとわかりきれていない。だからハラスメントが繰り返されます。
そうなってしまう背景として、実はメディアの大げさな報道にも原因があるのではないかと思います。実際メディアに取り上げられるような事例は極端なものが多い。犯罪に近いようなことが取り上げられます。
そしてそれを見た多くの方は安心します。
「ああ自分は大丈夫」「俺はあんなひどいこと絶対しない」「私の職場であんな人はいない」
自分には関係ない。他人事。つまり無自覚ということです。これが危ない。
本人に自覚がないと、何度でも繰り返します。
そしてある日、問題行動が発覚すると「えーっ!そんなつもり全然ありませんでした」
これが実態。
実際、セクハラやパワハラで訴えられた後のインタビューや会見を見ると、判で押したように「セクハラした覚えはない」「軽い気持ちで言った」「そんなつもりではなかった」と言います。
ハラスメントは、日本語に直訳すると「嫌がらせ」、わざとやっている印象です。
確かにそういうこともあるのは事実。下心満々のセクハラもあれば、いじめに類するパワハラもあります。
でもセクハラもパワハラも、する側は意図的にやっているわけではないことも多い。無自覚どころか、よかれと思ってやる場合すらあります。
例えば、親しみを込めたやりとりのつもり、ほめたつもりががセクハラと言われる。
自分は、大まじめに恋愛だと思っていたのに、後でセクハラで訴えられる。
熱心に指導したつもりだったのがパワハラと言われる。
だから指摘されると「え~っ?そんなことまでハラスメントになるの?」となる。
極端なハラスメントはごく一部。厚労省のガイドラインや啓発パンフレットに出てくるような行為だけがセクハラ・パワハラだと思い込むのは禁物です。ほとんどのハラスメントは、私たちのごく身近な日常で起こっています。
実際にどんな行為が危ないか、どんな言葉が「ハラスメント」になり得るか?
対策の基本は「俺たちの頃は」「私たちの頃は」をバッサリ捨てることから
それを知る前に、一つだけ、絶対に心得ておいていただきたいことがあります。
それは、「俺達の頃は」「私たちの頃は」という基準をバッサリと捨てること。これがすごく邪魔になります。そこを基準に考えると、今の「常識」をどうしても理不尽に感じてしまう結果になります。
「俺たちの頃は、あんなことでパワハラなんて騒がなかった。今の若いやつは打たれ弱くてやりにくい。まともに指導ができない」
「私たちの頃は、そんなことでいちいちセクハラだなんて目くじら立てなかった。今の若い子は大げさすぎる。これじゃあ職場がかえってギスギスしちゃう」
そんなふうに感じてしまうかもしれません。
これは、言ってみれば、喫煙の問題と似ていると捉えれば、わかりやすかもしれません。ちょっと前の映画を見ると、飲食店や道路どころか、自分のデスクや会議室で普通にたばこを吸っているシーンが満載です。今では信じられない光景です。飛行機に乗れば、いまだにスモーキングサインがあります。つまり、あんな狭いところで喫煙していた時代があったということ。
でも、今の世の中「俺たちの頃は、たばこぐらい好きなように吸っても咎められなかった。今のやつらは我慢が足りない」などと言ってどこでもかまわず喫煙すれば、後ろ指をさされるどころか法律違反にさえなります。
人の意識が変わり、法律が浸透することで、またさらに人の意識が変わって、喫煙のマナーとルールが厳しくなってきた。「窮屈な世の中になった」などと嘆いてみても仕方ありません。喫煙を迷惑に感じていた周囲の人が声をあげ、そしてそのような人が多数派になったんだと受け入れていかなければ「時代遅れ」「非常識」になってしまうということです。
つまり、無自覚にハラスメントを起こしてしまう人は、ざっくり言えばその人が時代について行けていない「情報難民」ということ。だから最低限、セクハラに対する知識と情報は備えておきましょう。
セクハラの定義
「他の者を不快にさせる職場での性的言動」
ポイントは「相手がどう受取ったか」であって、加害者側にそんなつもりがなくても 相手が嫌だと感じればセクハラになるのだということは、今や知られています。
では、具体的にどんな言動がセクハラになるのか?
男性から女性へのセクハラ発言
- 「いやあ、美人が多いと目の保養になるなあ」 相手の容姿に対する言葉
- 「いつも○○さんは優しくてうれしい」女性にやさしさを強要する
- 「○○ちゃん、最近きれいになったね」下の名前にちゃんづけ 容貌への言及
- 「ちょっと痩せたんじゃない」容姿や体型についての発言
- 「部長の隣の席は、きれいどころね」宴席で女性に上司の側に座席を指定する
- 「ああ、美人にお酌してもらうと酒がうまいなあ」お酌の強要的な言動
- 「やっぱり○○ちゃんが淹れてくれるお茶は美味しいなあ」女性がお茶を入れるべきとの前提
- 「花束を渡すのは、若い女の子がいいよね」女の子という言葉そのものがNGです
- 「気の利く女性がいると職場がきれいになるな」掃除、私用等を強要する
- 「早く結婚しないと行き遅れるぞ」行き遅れって、いつの時代の言葉?
- 「子供を生むのは若いうちがいいぞ。作り方なら俺がいつでも教えるよ」(つい最近の実話です)
容姿についての言及は、たとえほめ言葉であってもセクハラになります。なぜならば、「女性の見た目が美しい」=「自分にとっての性的な価値への評価」だからです。プライベートならともかく、仕事をする場でそのような評価は不要、「評価は仕事で」という発想です。
ざっくりと、「美人」「きれい」ぐらいであれば、まだファウル程度ですが、「足がきれい」「スタイルがいい」等身体のパーツに触れると、イエローカードが出されるかもしれません。
女性から男性へのセクハラ発言
- 「課長、最近メタボってません?」同様に容姿への言及はNGです
- 「もう!○○さん、おやじなんだから」おやじも「おばさん」と同様セクハラです
- 「ねぇ、A君って彼女いるの?」○○君はNGです
- 「B君てさぁ何だか女性経験がなさそうよね」「えー私もそう思ってた!キャハ」
- (独身の男性上司に)「独身は寂しいでしょう?なぜ結婚しないんですか?」
- 「やっぱりこういう重いものは男が持ってくれないとね」
- 「男なんだから、これぐらいは食べなきゃ」
男性同士
- 「お前、女知らないだろ。俺がいいところ連れてってやるよ」性的経験への言及、風俗への誘い
- 「男のくせに、根性がないやつだ」
女性同士で
- 「○○さん、色んな男の人と遊び歩いてるらしいわよ」
- 「○○さん、課長と不倫してるんだって」「○○さん、二股かけてるらしいわよ」
他人の恋愛や性的なこと対して噂話をするのはセクハラです。
自分が言い出す側にならなくとも、誰かから噂話を聞いて「え!うそ、本当に?!」と驚いて、その後その真偽を確かめるべく「ねえ、私~っていう噂を聞いたんだけど、知ってた?」などと、無意識に噂を広める役になってしまうのも同罪です。
例えば、一日に何回もメールがくる。毎日帰りを待っていてくれて、一緒に帰ろうって誘われる。これ、好きな人からされれば嬉しいけれど、そうじゃない人からされたら、セクハラどころかストーカーになりかねません。
だからセクハラとは「好きな人からされると嬉しいことを嫌いな人からされること」と言う人もいます。
じゃあ、「本人が嫌でなければいいんだよね。だって、いつもお茶に誘うとニコニコしてついてくるもん」そんな声が聞こえてきそうです。
でも、人間関係を壊したくないから拒否できないということもあります。相手が会社の上司や取引先の大事な人であればなおさら。
判例でも「抗議・抵抗がなかったからといってセクシュ アルハラスメン卜がなかったとは言えない」とあります。
「相手との人間関係ができていると、勝手に思い込まないこと」
「あの人ならこれぐらいは言っても許されるだろうと、勝手に思わないこと」
そして、「セクハラは他人事ではない。自分も無意識にやってしまっているかも・・」
まずは、そんな戒めが必要かもしれません